夜麻みゆきという漫画家がいる。作品数はそんなに多くはないのだが、独特の世界観がファンを魅了していると感じる。「刻の大地」は彼女の代表作だ、と、ぼくは思っている。
「刻の大地」は2002年ごろ、月刊少年ガンガンからGファンタジーへ連載が移ったあと、未完に終わってしまった。それがクラウドファンディングで「塔の戦い」完結編が描かれたのだ。喜ばしいことだ。
そして今回、新たに続編「天秤の代理編」作成のクラウドファンディングが始まった。「刻の大地」には思い入れが深かったので、前回も今回もクラウドファンディングに参加した。
前回参加したときは、塔の戦い編が完結することが嬉しくて、連載当時からずっと持っていたコミックスを読み返した。
そして子供の頃はなんと思っていなかったが、今思うと深いセリフを見つけた。
それは「勇者」ともてはやされていたザードという青年の言葉だ。彼は「モンスター」という凶暴な生物と心を通わせる術を持っていた。そんな彼との会話を、友人の聖騎士カイは回想する。「どーしたらそんな風に(モンスターのことが)理解できるんだって聞いたコトあったっけ」(2巻 第14話 剣とことばと(3))
その問いへのザードは答えはこうだった。「できてナイ 知ると思うコト知る入り口」
ザードの答えに、カイは混乱してしまい、もっと詳しく説明を求めた。そうしたらザードは「本当は知らない でも望む」と答える。カイは結局彼の言うことが理解できず、そのまま何年も過ぎてしまった。
子供の頃はこのセリフに特に思うことがなかった。あったかもしれないが、忘れてしまった。その程度の感想であった。
だが、あれから20年近くも経ってさまざまな経験をしてから読み返してみると、なんとも含蓄の深いセリフだ。
凶暴な、人を見れば襲いかかってくるような危険な生物。不気味な見た目をしていることもある。それがモンスター。彼らのことはわからないが、知りたいと思う。それが彼らのことを知るきっかけとなる。そして、相手のことを知って親しくなる。それを成し遂げたのがザードで、それは並の人間にできることではなかった。
その後、カイは十六夜という少年に出会うが、十六夜もまたモンスターと仲良くなることができた。彼はモンスターの様子をよく観察し、どうすれば怖いのか、どうすれば喜ぶのか、どうしたら不安を感じさせずに済むのか、それを自然に感じ取っている。そしてあっという間にモンスターと仲良くなる。その様子がありありとわかるのが、第12話~第15話「剣とことばと」だ(2巻)。そしてそこでカイは、十六夜の言葉を通して意味不明だったザードの言葉を理解することになる。
ザードと十六夜に通じるもの、それは先入観の無さだ。「モンスターは怖い、危ない」と思い込んで闇雲に怯え、攻撃しようとする人たちとは異なり、ザードや十六夜はモンスターそれぞれの個性や好き嫌いを見極めようとする。
こういう姿勢が、現代を生きる人たちにも必要なのではないかと思うのだ。
服装、肩書、趣味や病気、性別などで、ぼくらは簡単に思い込みを抱いてしまう。だけれど、そうではなく、その人それぞれの個性を見つめるべきなのだ。それは簡単にできることではないが、心がけたいことだ。
これはぼくの勝手な想像なのだが、夜麻みゆきさんは周囲の人たちに理解されず苦しい思いをしたのではなかろうか。そして、それをモンスターと怯える人々という図式に投影したのではないだろうか。そう思わずにはいられない。
「塔の戦い編」では、周囲の人たちに理解されづらい異端研究をしている人たちが描かれた。彼らをよく知ろうとせずに批判し攻撃する人たちも当然のように描かれた。しかしながら彼らは相手の事情を知り、理解し合おうとし始め、手を取り合って生き始め、やがて世の中を変えていくというのがエピローグだった。
これがぼくには、「偏見を捨てよ」「過去の罪で未来の可能性を閉ざすな」「理解し合おうという心を持ち続けよ」というメッセージに見える。「異端なものが悪とは限らない」とも思える。
今、この歳になって再会できたことが心から嬉しい。「刻の大地」はそんな漫画だ。この先はどんなテーマが語られていくのか、楽しみでならない。
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